苫米地英人認定コーチ 谷口元浩

苫米地式コーチングを実生活に落とし込んで得た気付き・発見・変化の体感をシェアします。

金曜ロードショー「かぐや姫」おもしろかった

 興味あるけど見てない人は自己責任で読んでね。

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 久しぶりにテレビで泣きましたわたくし。

 

姫が赤ん坊の頃のゴロゴロやよちよち歩きがすごく観察して作られてて可愛いかったな。

 

あの歳で赤ん坊を授かった翁と媼の喜びも分かるな~。

 

月側のお父さん(以下.月父)があんな格好してやってきたのにはかなり不意を突かれました。

 


どうやらこの作品では

月は悟りの世界であり、

極楽浄土であり、

あの世のようです。

 

そんな世界にいながら、地球での生活に強い興味を持ってしまったことがかぐや姫の罪。

 

清浄な悟りの世界の中で、下界で生きてみたいという煩悩を持っちゃうのは悪いこと、という論理かな。

 

このように考えると、月は空観までの世界であり、中観ではないのかな。

 

 

まあ、そんな罪の罰としてかぐや姫は地球に降ろされることに。

 

月父からすると生老病死を背負う下界に娘を降ろすことは罰かもしれないけど、それを望んだ本人にとっては屁でもないですよね。

 

月父もそんなことは分かってるはず。


じゃあ何が罰だったかというと、下界で生きてみたいと願った記憶を消されて降ろされたことだろうと思います。何はともあれ罰として下界に降ろすという点から察するに、月の世界観は大乗仏教ではないんだろう。

 

 

姫が翁の前に降りた事、その後も翁の前に金や反物が詰まった竹が出現したことは月父のただの親心だろうと思います。(それ煩悩じゃ…とかいうツッコミも)


翁がこの現象を天啓と捉えて、姫を高貴な人間にしていこうと考えた事はこの時代の親の愛情としては仕方ないことかもしれない。

 

しかし、翁が当時の社会的な常識を突き破れなかったこと、そして姫も翁の決定に従って山を降りたことがこの物語を方向付けた。

 

姫、まずは親を超えなさい。

 

 

そして紆余曲折を経て「こんなとこはもう嫌だ!」と強く願ったとき、月の記憶を取り戻すかぐや姫


地球に降りた目的を思い出しても、もう月からの迎えを止めることもできなくなった。

 


迎えがくると月の羽衣を纏わなければならない。

これは人と自然とかぐや姫を繋ぐ縁を断つという事。

 

かぐや姫にとってこれが本当の罰になるのだろう。

 

 

そしてとうとう月父が賑やかな音楽と共に登場。
月の羽衣を着せられてかぐや姫の記憶は消えたが、翁達の記憶は変わらず。

 


月に還る道中、命に残る記憶が疼くかぐや姫の涙。

それは命の共鳴だろうか。


一度つながった縁は根本的には消えないということだろうか。

 


月に還るかぐや姫をみて思うのは、
生きたいと思うことは罪なのか?

 

 

かぐや姫を見てあなたはどう思いましたか?と、そう問いかけている作品のように感じる。

 

 

 

あ、いま思った。

記憶の強制削除って洗脳だよね。