苫米地英人認定コーチ 谷口元浩

苫米地式コーチングを実生活に落とし込んで得た気付き・発見・変化の体感をシェアします。

コーチング理論から考える子供との接し方について


 叱ることは、状況によってはあってよいと考えている。

 

例えば、子供同士の喧嘩がエスカレートして子供が刃物を持ち出したとしよう。

こんな時は悠長に声をかけて諭している場合ではない。

 

子供が善悪の基準が定まらないうちは、子のためにならないと判断する事を教えて修正してあげるのは親の仕事だ。

 

そして状況が許す限りは、なぜダメなのかは子供自身に考えさせたり、分かるための道筋までを示して、結論は子供自身に考えさせるのが良い、と考えている。

 

 


「叱る」に似た言葉で「怒る」がある。それぞれの意味を辞書で調べてみると、

【叱る】目下の者の言動のよくない点などを指摘して、強くとがめる。
【怒る】腹を立てる。よくない言動を強くとがめる。しかる。
とある。


「叱るのは相手のため、怒るのは自分のため」という解釈があるが、ここでは同じものとして扱う。

 

叱っているつもりが、感情がエスカレートしてしまい終わりの方ではただ怒っていた、ということはあるし、叱るも怒るも、相手に恐怖やストレスを与えるという点では同じだからだ。

 

子供であれ大人であれ、相手をコントロールするには叱る(怒る)方が手っ取り早くて楽だ。奴隷をコントロールするのであればそれでもいいのかもしれない。

しかし自分の子供は自分の奴隷ではない。会社の部下も(本当は)奴隷ではない。

 

恐怖で支配された状態と自ら進んで何かを行いたい状態ではどちらが高いパフォーマンスを発揮できるだろうか。

 

 

自分が料理人だったとしよう。

・テロ組織に拉致監禁され、後ろで銃を構えられたまま料理を作る状況
・念願の自分のお店を立ち上げて、最初のお客のために料理を作る状況

同じ場所、同じ食材だったとして、どちらの状況が美味しい料理を作れるだろう。


人は恐怖やストレスを受けると心と体が委縮するので、目の前の事しか見えなくなってくる。なので本来持っている能力を最大限に発揮する事ができなくなる。

 

F1レーサーがコースアウトしそうになったときはコース上の復帰点(本来走るべきコース)に目を向けるらしい。

 

壁を見てしまうと、「ぶつかりたくない!」といくら思っても、車体はそちらに吸い寄せられてしまうそうだ。

 

もちろん車は操作した通りにしか動かない。

 

「ぶつかりたくない!」と思っていてもぶつかる方向にむかって車を操作してしまっているという事だ。自転車練習中の子供がよく壁や縁石にぶつかってしまうのと同じだ。

 

つまり恐怖の対象を認識すると、どう意識しようと無意識はそちらに吸い寄せられてしまう。


話を日常のケースに戻すと、「怒られたくない」と思って行動する状況では視野が狭くなり物事の全体像を冷静に見渡せない。なので結局怒られる結果に向かって吸い寄せられてしまう。

 

ということは、恐怖を植え付けられた分だけ、その事柄についてのパフォーマンスが下がっていく可能性がある。

 

子供の教育に話を戻すと、本当に子供の将来の幸せを考えるなら、恐怖を用いて子供をコントロールするのはなるべく控えたほうが良いというふうに考えている。

 

恐怖心を利用せずに相手のエフィカシー(自信)を高めて、やる気を引き出すのがコーチングだ。

 

子供をコーチングするには、コーチ本人に強い精神力が必要である。

長男へのコーチングを通して痛感している。

叱ることの手っ取り早さに正直魅かれる。

 

しかし、なるべくこらえて、本人に気付かせるためにはどうすればいいかを常に考えている。